日本のシティポップは万国共通で人気に!【世界一受けたい授業】

歌手

こんにちは!管理人のTE-RUです。

教育バラエティー番組【世界一受けたい授業】で、世界が愛する日本の

シティポップアーティスト第2弾が放送されていました。

観ていて改めて思ったことは、音楽は国境や時代に関係なく万国共通で

愛されるものであるということです。言葉や意味が分からなくてもリズムは

万国共通で誰かの心に響くものなのだと思いました。

今回は、シティポップアーティストについてまとめます。

気になる方は、どうぞ最後までご覧くださいませ。

スポンサーリンク

キングオブシティポップアーティスト

日本のシティポップアーティストとして、海外でリスペクトされているのは、

山下達郎さんです。これまで、どんな想いで楽曲作りをしてこられたのか

知りたいと思ったのでまとめてみます。

山下達郎さん

Profile

  • 氏名:山下達郎 やましたたつろう
  • 生年月日:1953年2月4日
  • 出身地:東京都豊島区池袋
  • 1975年:シュガー・ベイブのメンバーとしてデビュー
  • 1976年:アルバム『CIRCUS TOWN』でソロ・デビュー
  • 1980年:『RIDE ON TIME』の大ヒットでブレイク
  • 1982年4月:竹内まりやさんと結婚 以降まりやさんの
          作品全面的にプロデュース
  • 1988年:アルバム収録曲『クリスマス・イブ』がJR東海の
         クリスマス・キャンペーン曲に採用され大ブレイク
  • 1989年:『クリスマス・イブ』が前年に続く大ヒットで
         オリコンチャート1位を記録

参照元:https://www.tatsuro.co.jp

History

山下達郎さんといえばテレビ出演されたことがなく、肉声はラジオとライブで

しか聞けないことで有名ですが、世界中に多くのファンがいらっしゃいます

山下達郎さんは、高校生の頃は引きこもりがちの落ちこぼれだと思っていたそう。

小・中学校の頃はわりと優等生タイプで、理系志望でした。でも、高校に入ってバンドにうつつを抜かすようになった上に、70年安保があったりして、ちょっと人生が狂ってドロップアウトしてしまった。高校の時は、今でいう不登校に近かった。大学は理系はとても無理になっちゃったので、法学部に行って著作権を勉強して音楽出版社にでも行ければ、と思ったんですけど、大学に入って3カ月ぐらいでバンドを始めて、やめちゃった。それでシュガー・ベイブを作って、22の時にデビュー。でも、自分的には落ちこぼれなんです

引用元:Yahoo!ニュース オリジナル 特集

そんな当時、お父様からは

『学校に行かないやつをうちに置いててもしょうがないから出てけ』

言われたそうですが、その後、山下達郎さんが作った曲がテレビのCM曲に

採用され、それをテレビで観て以降は何も言わなくなったんだとか。お父様が

山下達郎さんの活躍を認めた瞬間だったことが伺えるエピソードですね!

それからの山下達郎さんの教訓は、

世の中は、やはり形にして出さないと、いくら俺は最高の音楽を作ってるんだと御託こいても駄目なんだ

引用元:Yahoo!ニュース オリジナル 特集

曲作りの方針は、

「制作方針は昔から、風化しない音楽、いつ作られたか分からないような音楽耐用年数ばかり考えてきた。KinKi Kidsの『硝子の少年』(97年)を書いた時もそう。『絶対ミリオン超えの曲を』という難題を課せられて作ったんだけど、関係者の間では『暗い』『踊れない』って大ブーイングだった。そうすると、KinKiの2人も不安になるわけですよ。でもその時、僕が彼らに言った言葉は、『大丈夫。これは君たちが40になっても歌える曲だから』と。確信犯だった」

引用元:Yahoo!ニュース オリジナル 特集

この方針で作られたからこそ、時代も年齢も関係ない名曲が生み出され、

山下達郎さんの楽曲は万国共通で人気なのだと感じました。

しかし、数年前から日本のシティポップが世界中で人気で、中でも山下達郎さんの

楽曲がリスペクトされていると知らされても、分からないし全ては運だとしか

答えようがないと語っています。10代の頃は誰も聴かないような音楽を聴いていて

大ヒット曲には見向きもしなかったのだとか。海外進出にも海外の人とのコラボにも

興味がなく、日本で真面目に働いている人のために音楽を作ってきたのだと。

「売れりゃいいとか、客来ればいいとか、盛り上がってるかとか、それは集団騒擾。音楽は音楽でしかないのに。音楽として何を伝えるかそれがないと、誰のためにやるか、誰に何を伝えたいのかが、自分で分からなくなる表現というのはあくまで人へと伝えるものなので」

引用元:Yahoo!ニュース オリジナル 特集

売れる売れないとかより、音楽で誰に何を伝えたいのか、という想いをとても大切に

されているのだということが分かります。

スポンサーリンク

楽曲

今年6月、11年ぶりにオリジナルアルバム『SOFTLY』を発売されました。

オリコン1位を獲得しました。

RIDE ON TIME』 意味:時間通りに乗る、時流に乗る、乗り遅れるな等

この曲は、1980年に発売され大ヒットしました。曲名だけ聞いてもあまり

ピンとこない方もおられるかと思いますが、2003年に放送された木村拓哉さん

主演のドラマ『GOOD LUCK!!』の主題歌になった曲です。

私もこのドラマで知った曲です。このドラマは全日本空輸(ANA)が舞台でしたので、

空を飛行機で乗るのと「青い水平線を いま駆け抜けてく」の出だしで始まる部分が

マッチしていたのがとても印象深く残っています。

クリスマス・イブ

この曲は、1988年発売のアルバム収録曲で、JR東海のクリスマスキャンペーン

曲に採用されたことで話題になりました。当時のCMには、女優の牧瀬里穂さんや

深津絵里さんなどが出演されていました。

そしてクリスマス・イブは前年に続く大ヒットで、オリコンチャート1位を

獲得するなど、冬の名曲となりました。

夏でも、誰がなんと言おうと『クリスマス・イブ』は、ライブで唄い続ける

そうです。

楽曲提供

山下達郎さんは、楽曲の提供もされていますね。

提供曲一覧(一部)

真夜中に2度ベルが鳴ってEPO
ハイティーン・ブギ近藤真彦
ウィズアウト・ユーデビー・ギブソン
湾岸スキーヤー少年隊
硝子の少年KinKi Kids
ジェットコースター・ロマンスKinKi Kids
KISSからはじまるミステリーKinKi Kids
Amazing LoveKinKi Kids
復活LOVE
スポンサーリンク

松原みきさん

現在海外で日本のシティポップアーティストの中で爆発的人気となっている

『真夜中のドア』は、1979年に発売された松原みきさんのデビュー曲です。

松原みきさんの楽曲

  • THE WINNER
  • It’s So Creamy
  • BACK TO PARADISE
  • Over the Top
  • Pas De Deux
  • Safari Eyes

など、他にも多数の楽曲を発売しています。

しかし、松原みきさんがこの現実を知ることは、もう出来ません。

ジャズ歌手の母の元で音楽に親しんで育った松原みきさんは、日本一の歌手になるため単身17歳で大阪から上京。ライブハウスや米軍キャンプで腕を磨く中、ある日飛び入りで歌ったジャズクラブで実力を見出されます。そして林哲司プロデューサーにより「真夜中のドア~stay with me」でデビューし数々の賞を受賞。その後、念願の作曲活動をスタート。しかし精力的に活動していた2000年代に突然の活動中止。原因は末期の子宮頸ガンでした。2004年10月7日44歳で永眠世界中で歌われるヒット曲を生み出すことが夢でした時代・国境・言葉を超え世界中に届いています。                        引用:世界一受けたい授業ナレーション

まとめ

山下達郎さんは風化しない音楽、いつ作られたか分からないような音楽を

制作方針として、音楽として何を伝えるかという想いを大切に楽曲制作を

されてきたことが海外でリスペクトされ世界が愛する日本のシティポップ

アーティストと評価されているのだと思いました。また、世界中で歌われる

ヒット曲を生み出すことが夢だった松原みきさんの想いが叶って良かったな

と思いました。日本でヒットした曲と海外で人気の曲と違いはありますが、

これからも日本の曲が世界中の方に歌われ続けていくと良いなと思いました。

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました