安藤桃子さんが移住先の高知で新作を生み出す?【セブンルール】

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こんにちは!管理人のTE-RUです。

2日放送の【セブンルール】、今回の主人公は映画監督の安藤桃子さんです。高知県に移住して8年ぶりに新作映画を生み出すために自分と向き合う、安藤桃子さんの7ルールに密着します。

高知県に移住して8年、映画とどう向き合って過ごしていたのかまとめてみたいと思います。

気になる方は、どうぞ最後までご覧くださいませ。

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映画監督安藤桃子が誕生するまで

安藤桃子さんといえば、言わずと知れた芸能一家であることですかね?
父親は俳優の奥田瑛二さん、母親はエッセイスト安藤和津さん、妹は女優の安藤さくらさんです。

私は、どちらかと言うと芸能一家というより、いつも凄く元気でパワフルでポジティブな人という印象の方が大きくて、大人になっても自分の気持ちに真っすぐに生きている方だと勝手に思っています。

ではここで、安藤桃子さんはどのような幼少期を過ごし映画監督になるきっかけはなんだったのか、調べてみたいと思います。

10歳の時に、父親の奥田瑛二さんから将来について希望を聞かれた安藤桃子さんは、芸術家になりたいと意味も分からず答えていたそうです。この時に思っていた芸術家とは、絵を描く人のこと。その気持ちは成長してもずっと持ち続けていたのだとか。しかしその反面、毎日忘れ物をする野生児のような一面もあるお子さんだったそう。

和津 桃子は本当に想定外のことばかりする子だった。 しかも忘れ物が多くて、通学に使っていたバスにしょっちゅうランドセルを忘れてきて、毎回バスターミナルまで取りに行ったり、朝なかなか起きなくてやっと送り出したと思ったら玄関で寝ていたこともあった(笑)。

https://news.yahoo.co.jp/

高校時代はイギリスに留学していたのですがこの頃、人種差別を受け辛い思いをされていたそうです。その事を知った安藤和津さんは、すぐにイギリスに飛び滞在2日間で転校したのだとか。
その後はロンドン大学芸術学部に通い美術を専攻され、無事に卒業されました。

そんな中、映画監督になると決めたきっかけとなった出来事がありました。

18歳の時に父親(俳優、映画監督の奥田 瑛二)の初映画監督作品『少女~ANADOLESCENT』の現場に参加し、そこで皆命がけで映画を撮っている場面に遭遇しました。その時「こんなに全てを捧げるような物作りのやり方は、今まで見たことがない」と衝撃を受けました。特に自主映画の現場はすさまじいものがあり、とても怖いと感じましたが「ここで逃げ出したら、一生映画と名の付くものから逃げなくてはいけなくなる」と覚悟を決めました。

https://coolny.blog.shinobi.jp/film/

映画『少女』では美術や制作、進行アシスタントとして修行した後、奥田英二監督のスタッフとして数々の現場を経験されて、2006年には行定勲監督の助監督を務めたこともあったのだとか。

幼少期から芸能という世界を身近に感じられる距離にいた安藤桃子さん、父親の奥田瑛二さんが映画監督をされていたこともあり、物事に対して独特な捉え方をこの頃から自然と学んでいたのでしょう。

ひとつ、軸をあげるとするなら、両親から常々「人のせいにするな!」と、言われて育ったことでしょうか。これは、父が役者・映画監督というのもあり、作品を描くうえで言えることなのですが、常に「固定観念を捨てろ! そしてすべては自分の“内側”で起きている事と捉えるのが、一番の近道だ!」と、教えられてきました。生きていたら理不尽な出来事って沢山ありますよね。でもそれに対して「これが無かったらもっと幸せだったのに!」と他責で考えず、“内側=自分の気持ち”と真に向き合うことで、解決・改善方法が見える」という考え方です。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91578?imp=0

固定概念を捨てて自分と向き合うって、難しいことでそう簡単に出来る事じゃないですよね…。そういう捉え方が出来る人だから、一つの物語を色んな視点から見ることができてイメージも湧いくるという感覚が楽しいと感じていたのかもしれませんね。

そしてついに、2010年映画【カケラ】で監督デビューを果たしたのです。この作品に対する想いを後にこう語っています。

初監督というのは最初で最後だし、次からはもう経験をしてしまった後のことになりますよね。初体験というのは、もう二度と訪れない。そこで何が出来るかを必死に探りました。自分の年齢がまだ20代で、役者達も20代。今の自分で表現できる全てのものをぶつけ、出し切る。自分なりに一生涯大切に出来る作品にしたかった

https://coolny.blog.shinobi.jp/film/
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高知県に移住し映画とどう向き合って過ごしていた

安藤桃子さんが高知県に移住するきかっけとなったのは、2014年に自身の小説【0.5ミリ】を映画化した時のロケ地となったのが、高知県だったこと。撮影時に現地の人達の暖かさにふれ、直感と言ってもいいくらいの速さで高知への移住を決断したそうです。

ですが、移住と同時に壁にぶつかることになるのでした。

高知の自然を見た時にこれは撮れないっていうことだけ知った

https://www.ktv.jp/7rules/program/220802.html

それからは、映画から遠ざかっているのでは?と周りが感じてしまうような行動をしていくのです。例えば、地域の方々と畑を耕したり、地域一体となり自然農法で大豆を栽培することから始め味噌づくりをしたり、高知の食文化に力を注ぐようになったのです。

一見すると、この行動は全く映画に関係ないと受け取ってしまいがちなのですが、高知の自然という大きな壁にぶつかった安藤桃子さんから見れば、それらの行動一つ一つが映画制作に繋がっているものなのです。

ひとつの作業を通して、それぞれの感性が花咲くのを垣間見たり、みんなが共鳴する瞬間が大好きそういう空間をつくることが、映画監督としての自分の役割なんです」

https://gendai.media/articles/-/88835?page=3

まさに、固定概念を捨てろという考え方からくる安藤桃子さん独特の捉え方なのではないでしょうか。

移住して8年、自然に逆らわず、自然から学び、自然に合わせて生きる
もしかしたら、それが安藤桃子さんの【セブンルール】の中の一つなのかもしれませんね!
そして、8年かけて自然という壁と向き合ってきたことで見えなかった未来の物語が、少しずつ見え始め新作を生み出しつつあり、映画制作への意欲に繋がっているのではないでしょうか。

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まとめ

2日放送の【セブンルール】の主人公は、映画監督の安藤桃子さんです。高知県に移住して8年。高知の自然という壁にぶつかり、映画制作からはほど遠いと思わせる食に対しても力を入れ活動されています。しかし、その行動の一つ一つが安藤桃子さんとっては新作映画を生み出すうえで必要なことであると理解することができた気がします。映画監督という職業からみる物事に対する視点の捉え方が、独特で、固定概念を捨てることができ自分の気持ちにきちんと向き合い、見えなかった物語がようやく見え始め、制作意欲に繋がっているのだと思います。どんな物語が生まれているのか、公開される日が待ち遠しいです。最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

安藤桃子さんの【セブンルール】

  1. 想像するときは目を瞑る
  2. 毎年 味噌を作る
  3. 子どもと一緒に楽しむ
  4. ハートを見つけたら写真を撮る
  5. 常に気持ちは映画監督
  6. 「行くぜよ!」と思ったときは空と海を見る
  7. みんなが幸せになる映画を撮る

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