こんにちは!管理人のTE-RUです。
朝の情報番組【スッキリ】で、昨日22歳で最年少三冠王タイトルを獲得したヤクルトスワローズ村上宗隆(むらかみむねたか)選手56号ホームランの原点について解明していました。その原点を探るため、【スッキリ】でお馴染み阿部リポーターが村上宗隆選手の出身地熊本へ出向き、中学生時代に所属していた硬式野球チーム(熊本東リトルシニア)吉本幸夫監督に話を聞いていました。熊本時代の村上宗隆選手の伝説と打撃改造が原点ともいえるエピソードを話してくださっていたので、ご紹介します。
興味のある方は、どうぞ最後までご覧くださいませ。
村上宗隆選手は熊本時代の打撃改造が原点で56号ホームラン?【スッキリ】
村上宗隆選手は、2017年ハズレ1位で東京ヤクルトスワローズに入団しました。5年前のドラフトで最も注目を浴びていたのは、高卒ルーキー清宮幸太郎選手でした。ヤクルトスワローズも清宮幸太郎選手を1位指名していましたが、抽選で外し村上宗隆選手を1位で獲得したという経緯から、ハズレ1位と言われていました。
入団当時の記者会見で清宮世代と言われていることに対して、
同じスタートラインなので今から強い意識で次は村上世代と言わせられるような選手になれるように、しっかり自分の持ち味を出していければなと思います。
引用元:スッキリ放送村上宗隆選手の入団記者会見
と答えていました。プロになり5年目で村上世代どころか、村神様と呼ばれるほど凄い選手になりましたね!
ヤクルトファン歴40年以上で知られる芸人、飯尾和樹さんから歓喜のコメントも届いていました。
いや~やりました~村上選手ありがとうございま~す。素晴らしい!ホームラン王の仲間入りですね、素晴らしい!ちょっとですね、ロケの帰りで画像は見れてないんですけども、素晴らしいホームラン放ったって噂を聞いて、いま傘を広げて勝手にやっております。燕(つばめ)になりましたね!どうか鷹(たか)や鷲(わし)にならないように、ずっといてください!お願いしま~す!おめでとうございます!
引用元:スッキリ放送ロケ帰り車中からの飯尾和樹さんコメント
相手チームが敬遠せず最後までちゃんと勝負してくれたことも、この大記録に繋がったことから、ありがとうございました、という気持ちにもなりますね!
そんな村上宗隆選手の原点を探るため【スッキリ】でお馴染み阿部リポーターが熊本に向かいました。そこで出会ったのは、村上選手が中学生時代に所属していた硬式野球チーム(熊本東リトルシニア)吉本幸夫監督でした。
吉本監督は、熊本での中学生時代の村上選手について話してくださいました。
地元熊本で中学生時代にはキャプテンを任されていた村上宗隆選手は、
自分(監督)がノックやっている時でもサード、ショートみんなにですね、ずっと声をかけるんですよ。もっと前出てこいとかですね、ナイスプレーとかですね。普通だったら声が途切れるんですけど、途切れなしにずっと声出してるんです。あのベンチにいる姿が中学の時からそのままですね!本当に声出す。だからあの~他人がヒット打てば喜ぶし、もうその頃からだね。自分というより、人がなにかやると喜んでいましたね!
引用元:スッキリ放送中学生時代吉本幸夫監督
チームメイトが活躍すれば自分のことのように一緒に喜び、悔しさや悲しさにも寄り添える、そんなキャプテンだったそうです。昨日の内川聖一選手の引退時には男泣きされ、当時と変わらず寄り添っている姿を見ることが出来たのではないでしょうか。
また、熊本時代の村上宗隆選手の伝説と打撃改造が原点ともいえるエピソードを話してくださいました。
3年生になって体も大きくなり、ボールを飛ばすようになりましたからね~前のグランドはやっぱりライト側がちょっと狭かったんですけど、ネットの裏結構高いんですけど、それを超えて近くの、あの~小屋の屋根を壊したりとかですね、よくしてましたからね~。
引用元:スッキリ放送中学生時代吉本幸夫監督
その当時、実際に練習で使用していたグランドでは、バッターボックスからホームランとなる距離はライト側はおおよそ85メートル、レフト側はおおよそ110メートルあったそうです。
左バッターの村上少年は、バッティング練習でライト方向への場外ホームランを連発し、フェンスを越え外にあった小屋に何度も打球が直撃していたそうです。
そこで、【スッキリ】お馴染み阿部リポーターは、当時村上宗隆少年に何度も小屋の屋根を壊されるという被害にあっていた、濱田雅之さんにもお話を聞いていました。
阿部リポーターと濱田雅之さんは、当時実際に小屋があったというライトスタンド側の場所へ行ってみると、高さの違うフェンスがありました。低いフェンスは元からあったそうですが、村上少年のホームランは、そのフェンスを越えてしまうため、更に高いフェンスが設置されたのだとか。このフェンスの下辺りに当時は小屋があったそうですが、現在は更地になっています。
ここに大きな農舎を建ててたんですけど、その屋根にどんどんホームランボールがきて。上の段は後で出来たネットです。下の段。村上選手のボールがどんどんあの~超すもんだから、上のやつは役場が建てた。(このフェンスを越えるのは)あ~もうそれは、村上選手以外にいないと思いますね~。
引用元:スッキリ放送濱田雅之さん
村上少年が壊してしまった屋根は、毎回選手たちで修理をしていたそうです。そんな思わぬ被害にあっていた濱田雅之さんは、農舎まで飛んできた村上少年のホームランボールを現在も大切に保管されていたんです。
そこには、ボールボーイが見つけ出せなかったボールや、草の中に入ったりとかして見つけられなかったボールがバケツいっぱいに入っていました。凄い伝説です。
濱田雅之さんは、いつか村上選手に直接ボールを返したいと思ってみえるそうです。
このように、中学生時代の村上選手は度々屋根を壊していたので、被害を減らすために監督は、打撃改造の指示をしたそうです。
逆方向(レフト側)に打ちなさいとか左中間に強い打球を打ちなさいっていうのは良くまあ~言ってたんですけど。
引用元:スッキリ放送中学生時代吉本幸夫監督
熊本時代に監督から打撃改造の指示があったから、ということが原点になっているかは分かりませんが、そうとも言えるエピソードではないでしょうか。
今シーズンの村上選手のホームランデーターをみると、ライトだけに偏ったりせずセンターやレフト方向にもボールが飛んでいることが分かります。
王貞治さんのデータと比べても分かるかと思います。
色んな方向に打てる村上宗隆選手の凄さが分かりますね。これからも、応援しています!
村上宗隆選手は熊本時代の打撃改造が原点で56号ホームラン?【スッキリ】まとめ
朝の情報番組【スッキリ】で、昨日22歳で最年少三冠王タイトルを獲得したヤクルトスワローズ村上宗隆(むらかみむねたか)選手56号ホームランの原点について解明していました。
地元熊本で中学生時代にはキャプテンを任されていた村上宗隆選手は、チームメイトが活躍すれば自分のことのように一緒に喜び、悔しさや悲しさにも寄り添える、そんなキャプテンでした。そして、左バッターの村上少年は、バッティング練習でライト方向への場外ホームランを連発し、フェンスを越え外にあった小屋に何度も打球が直撃していたそうです。そんな被害を減らすために監督は、逆方向(レフト側)に打ちなさいとか左中間に強い打球を打ちなさいと打撃改造の指示をされていました。それが原点ともいえるエピソードでした。来シーズンもこれからも、応援していきたいと思います。最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
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